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ゆかりさんと学ぶ心の科学入門 その2 「ゲシュタルト崩壊」までの補足

近頃少し日が沈むのが遅くなり、会社から帰る頃、外が明るいので気が楽です。 やはり暗い中運転するのは疲れますからね。 本日もよろしくお願いいたします。 本編動画はこちらです。 ゆかりさんと学ぶこころの化学入門 その2 はじめに まず皆さん、ゲシュタルト心理学(Gestalt Psychology)とは何なのか? という話を本編では、させていただきました。 おさらいになりますが、 ゲシュタルト、というのは「形態」という意味ですね。 そのため、形態心理学と呼ばれたりもします。 1910年(20世紀初頭)以降ドイツで発生した心理学派の一つで、その考え方は 現在では知覚心理学、認知心理学分野でも継承されています。 その基本原理は 「全体は部分の総和とは異なる」 というものです。 例を挙げてみましょう。 動物園でキリンを見つけたとします。 皆様の頭の中はどのようなイメージをしますか? 恐らく、いきなり、「あっ!キリンだ!!」だと思います。 これが部分の総和であった場合… 「あっ!首が長い!!」 「黄色と茶色!!」 「足が長くて4本生えてる!!」 「「「キリンだーーーー!!!!!」」」 という考え方をすることになります。 (当然これは極端な例ですが…) 簡単に言うと、 「一つ一つの要素」という刺激(首が長い、黄色と茶色…)から全体像を描くのではなく、 初めから「一つのまとまり(ゲシュタルト)」として認識する。 ということを説く心理学分野となります。 ヴェルトハイマーの実験 ゲシュタルト心理学創始者の一人Max Wertheimer (マックス・ヴェルトハイマー)、 彼がゲシュタルト心理学という分野を誕生させるきっかけとなった実験が 「運動視」の実験です。 運動視というのは、動いている物体の速度や、方向を知覚する視覚機能です。 実験の内容をそのままお話しするのもよいのですが、多分伝わらないと思いますので、 簡単に身近なものに例えて紹介します。 「踏切のランプ(踏切警告灯)」ってありますよね、 カーンカーンカーンカーン!!って赤いランプが左右で点滅するあれです。 右!左!右!左!って点滅してるのをじっと見てると、 「赤いランプが左右に移動している」ように見えてきませんか

ゆかりさんと学ぶ心の科学入門 その1「トーストの転落(マーフィーの法則)」の補足

ゆかりさんと学ぶ心の科学入門 その1 論理的推論 上記リンクで動画本編に飛べます。 皆さん、いきなりですけど、 「トースト、落としたことありますか?」 私はないです。 はじめに 皆さまには今回この動画で三つのことを紹介しましたね。 「ウェイソン選択課題」、「コイントス問題」、そして今回の解説内容となる 「トーストの転落(マーフィーの法則)」です。 まぁ、今回は今までのように、解説というよりは補足という意味合いが強くなりますので そこまで長い記事にはならないと思います。 冒頭にも申し上げた通り、トーストを私は落としたことがないのですが、 Robert Matthews(ロバート・マシューズ)はイギリス人なのでパンをよく食べられるのでしょう。 この方のすごいところは、物理学、科学、天文学、暗号学などに精通しているという点です。 ついでに言えば去年還暦です、おめでとうございます。 それとお話ししたかどうか怪しいので、しっかりと解説しておきます。 イグノーベル賞はアルフレッド・ノーベルの親戚「イグネイシアス・ノーベル」の遺産で運営されている賞で 「楽しくてためになる、おバカな研究(意訳)」を表彰する、といった内容となっています。 (注、イグネイシアス・ノーベルは架空の人物です。) ノーベル賞にない「イグノーベル心理学賞」もありますので、心理学をやってる人はこっちを目指しましょう。 研究結果が面白い内容であったというだけで、おふざけでやっているわけではありません。 ノーベル賞ほどの富と名誉は手に入りませんが、名声は少なくとも手に入ります。 なぜか日本とイギリスが結構多く受賞しているそうです(褒められたこととして受け取っていいのかは微妙ですが…) あんまり私はイグノーベル賞には詳しくないのですが、 「牛のふんからバニラの香料「バニリン」を抽出する研究」とか、 「タマネギから涙が出る成分の特定をする研究」とか 「ストレスを受けたカエルが発するにおいを嗅いでカタログ化する研究」とか 「座って行う大腸内視鏡検査~自分の肛門でやってみた~」 みたいな研究で日本人は受賞しているようです(うん……)。 授賞式も結構楽しいみたいで、 「ミートボールに敬意を払う」とか 「講演を聞いてるときには紙ヒコーキを飛ばす

ゆかりさんと学ぶ心の科学入門 その1「コイントス問題」の補足

ゆかりさんと学ぶ心の科学入門 その1 論理的推論 上記リンクで動画本編に飛べます。 お久しぶりです、このブログ記事をいつアップするか分かったものではないので、 一応お久しぶりとだけ言っておきたいと思います。 楽しみに待っていたという人は少ないとは思いますが、今回もしっかりがっつりとお話していきます。 私の活動、何を以て何を為す…? 今回は前回のブログ「ウェイソン選択課題」の続き「コイントス問題」について解説していきます。 動画中盤で解説している問題ですね。 コイントス問題における思考方法 以下に動画で実際に使用されたスライドを提示します。 一応ここでは述べるのを忘れていたのですが、 条件として「表と裏の出る確率は1:1」です。 さて、この問題、見るからに下のほうが確率が高そうです。 が、「明らかすぎて」勘のいい方は、答えは2ではないな…?と気づく方も多いかもしれません (理由にまで言及ができるかどうかは別ですが…) この問題は「ギャンブラーの誤謬」という話における簡単な例としてしばしば用いられる例題です。 ちなみに誤謬(ごびゅう)とは「誤った考え」というような意味です。 論理学分野の言葉なので少々難しい文字と難しい読み方ですが、気にしない方向で行きます。 さて、皆さんにお聞きします。 「両面の出る確率が同じコイン」を使ってギャンブルが行われています。 あなたは5回戦から参加することになりましたが、今までのコインの出目は 1[表]、2[表]、3[表]、4[表] でした。 次(5回目)は、どちらが出ると思いますか? まぁ、「ずっと出てるから表に賭ける!!」って人と 「4回も表が出てるし、次はさすがに裏が出るでしょ!!」という人といると思います。 そのどちらも(完全に運任せって人もいるとは思いますが)、 「ずっと表だったし、次も表が出る確率が高いな、ここはそういう流れだ」とか 「こんだけ表が出たんだ、次はさすがに裏が出る確率のほうが高いだろ…頼むぜ!!」とか そういう考え方に陥る人もいるかと思います(一応これは勝ち負けのあるギャンブルですからね) さて、動画を見ていただいてる方であれば、もうお分かりかと思いま

ゆかりさんと学ぶ心の科学入門 その1「ウェイソン選択課題」の補足

ゆかりさんと学ぶ心の科学入門 その1 論理的推論 上記リンクで動画本編に飛べます。 動画を視聴されている皆様、あるいは何となくここへたどり着いた皆様、 お世話になっております、自室が寒くて白い手袋(交通整理の人がつけてるやつ)を着用してるのですが、 キーボードが打ちにくくて仕方ないです、Alias(エイリアス)です。 この記事ではゆかりさんと学ぶこころの科学の補足というより、振り返りを行っていきます。 その1では心理学における重要な考え方について話していました。 「論理的推論」これは文字通り、論理学(哲学)の分野の内容であり、心理学と直接関係のある問題ではありません。 しかしながら、密接な関係がある分野ではあると思いますので、しっかりと解説を行っていく次第です 尚、動画を見ながらでないと理解が難しい場合がありますので、適宜動画をご覧ください。 論理的推論とは何か 論理的な推論では「演繹」、「帰納」、「仮説形成」という三つの柱が重要となる。 帰納法や演繹法などという表記のほうが一般的ともいえます。 また、【前提条件】、【結論】、 「『前提条件』において『結論』が成り立つ」という【規則】 の三つがこの推論では重要な役割を果たします。 ウェイソンの選択課題を例に一つずつ紐解いていくことにしましょう。 動画で用いられたスライドがこちら 【前提条件】はこの課題においては、 「片方にローマ字の母音が書かれている」ことであり 【結論】は 「裏面の数字は偶数である」ことであり 【規則】は 「片方にローマ字の母音が書かれていれば裏面の数字は偶数である」ことが成り立つことである。 演繹的推論とは 演繹という考え方は【結論】を【規則】と【前提条件】から導くという考え方です。 ウェイソン選択課題では以下のようになります。 「片方にローマ字の母音が書かれていれば裏面の数字は偶数である」 ↓ 「片方にローマ字の母音が書かれている」 ↓ よって「裏面の数字は偶数である」 帰納的推論とは 帰納という考え方は【規則】を【前提条件】により生じた【結果】から導くという考え方です。 ウェイソン選択課題では以下のようになります。 「片方にローマ字の母音が書かれている」と

ゆかりさんと学ぶこころの化学入門はなぜ生まれたのか?

タイトルの通り、なぜ、「ゆかりさんと学ぶこころの化学入門」が始まり、 なぜあのような内容になっているのか?という内容について触れていく。 (中盤で文章が固いことに気づいて修正を行っています、ご了承ください。) 心理学との出会い 私が大学進学を行う際に私の頭の中には 「音楽の大学(あるいは学科を持つ大学)」へ進みたい。 という考えがあった。 高校の頃はまだチェロはそれなりに弾けていたし、なにより歌を歌うことが好きだった。 高校の頃はお年玉をやりくりして一週間連続カラオケに通ったこともあるくらいだ。 高校の先生でさえ、私は音大を受験すると思っていた方もいる。 意外にも(?)私は心理学科を受験したわけだが、これに関しては少なくとも母の影響が大きい。 母が精神に障害を負っていたというわけではない。 「音楽では生きていけない、それ以外の面白そうなことを学びなさい」 これは母が私に言った言葉で、今でもその一言を言ったことを後悔している(らしい)言葉である。 当然であるが私は心理学で生きているわけではないのである。 自分が高卒であるということで、その考えが欠乏していたらしい。 学びたいことを学びたいように学ばなくてはならない。 そう、私は心理学なぞ、全く興味がなかったのである。 当時心理学か何かを話題にしたドラマがやっていた、それを見ての母の提案に安易に乗っかっただけである。 17歳ごろまで、私は音楽を学ぶぞ!と意気込んでいたが、その選択肢を潰された結果全てが面倒になった。 幸いにも数件受けた心理学科の入学試験のうち一件合格し、私の心理学勉強は始まる。 負けず嫌いという生き方 厳密に負けず嫌いというのとは違うと思う。 私は勝負をするくらいなら、参加しないという考え方だ。 しかしながら学業に専念しない理由を「自分のやりたいことではなかったから」といわれるのだけは御免だった。 もちろん苦労自慢なんてしたくないし、する気もない。 現実的に成績は中の中か下がほとんどだったし、4年間の生活で優秀な成績を収めていた科目はドイツ語と音楽であった。 実験心理学はそれでもほぼ満点ではあったが。 むしろ今でも心理学には苦手意識すらある、覚えることは多いし、統計を使うので様々な計算が必要になる。 (数学のできない私は卒業論